2018年04月17日

週イチしりとりコラム 第674回 "の"→「ノトーリアス」→"す"Kay稲毛

ボズアトールのメンバーが、タイトルで"しりとり"をしながら、

リレーでコラムを書いていく 「週イチしりとりコラム」。

今回は「の」から始まるタイトルでKay稲毛が筆を執ります。





「ノトーリアス」

子供の頃から音楽が好きでしたが、映画も好きでした。

実は好きになったのは映画の方が先だったかもしれません。

小学生、中学生の頃、ラジオの深夜番組で紹介される映画のストーリーを聴きながら
どきどきしたのを覚えています。

そのうち音楽と映画の好きの比重が替わってきたのはいつぐらいからだろうか・・・

もちろん今でも映画は好きで、たまに映画館にも観に行くし、自分でDVDやブルーレイを買ってくることもあります。

自宅にも40〜50本ほどの映画のDVDがあります。が、しかし!

音楽は聴いたりかけたりするのが仕事になったことも有り比較的まんべんなく聴くことができるんですが、映画に関しては基本興味がないとみない・・・

趣味なんてそんな物だよ!といってしまえばそれまでですが・・・

で、家のDVDを先日ひっくり返してみました。

7割が音楽にまつわる映画、あと2割がスポーツを題材にした映画、最後の1割はそれ以外・・・

偏っています。

そんな中の1本が「ノトーリアス」でした。

今や伝説になったアメリカ東海岸のラッパー、ノトーリアスB.I.Gの一生を描いた映画です。

1990年代アメリカの西海岸側のラッパー達と東海岸側のラッパー達が激しく抗争を繰り広げ、
才能豊かなアーティスト達が短い生涯を終えるという悲劇が起きました。

その抗争の中心人物になったと言われる東の雄ノトーリアスB.I.Gと西の雄2PAC。

未だにこの抗争の真実は分かっていません。が、ノトーリアス側の視線で描かれた映画「ノトーリアス」で黒人音楽の重要な歴史のピースを観た気がします。

昨年末日本で西の雄2PACの事を描いた映画「ALL EYES ON ME」が公開されました。

残念なが私はまだ観れていませんが、この映画も是非コレクションに加えたい!とリリースを手ぐすね引いて待っております。

まぁ〜これらの映画はアーティストが主人公だったりするから音楽に関わりの深い映画というのは当たり前です。

直接音楽が関わる映画じゃなくてもすごく印象的に音楽を使っている映画も沢山あります。

スパイク・リー監督の『クルックリン』という映画や、「タイタンズを忘れない」日本の映画だと井筒監督の作品の多くはそうですね。

なにげに映画を観ていてもドラマを観ていても、テレビでCMが流れていても音楽が気になっている・・・

ある意味病気です。



次回は、「す」から始まるタイトルで、成金屋清富が筆を執ります。お楽しみに!



火曜日更新の 「週イチしりとりコラム」。



posted by VOZATOR at 11:24| 週イチしりとりコラム

2018年04月03日

週イチしりとりコラム 第673回 "た"→「たいせつなもの」→"の"野中政宏

ボズアトールのメンバーが、タイトルで"しりとり"をしながら、

リレーでコラムを書いていく 「週イチしりとりコラム」。

今回は「た」から始まるタイトルで野中政宏が筆を執ります。





「たいせつなもの」


「た」から始まるお題…と言われて、パッと思い浮かんだのが「大切」。

他にも「大変」とか「退屈」とか「田んぼ」とか「鯛焼き」とかいろいろありそうなものですが、やっぱり「大切」が頭から離れない。

いったい僕は何を「大切」に想っているんだろう?と自問自答している間に〆切は彼方に過ぎてしまい、まとまらないまま筆を執っています。

大切なもの。

今の僕の答えは、かけがえのないもの、です。

かけがえのないもの。

例えば、「人の心」。

目に見えないし、手で触れることも出来ない。

確かめることはできないのに、そこに、確実に、あるもの。

人の心を感じることが出来たなら、それは奇跡に近いのではないか、と最近は、なんだか、そう思います。


確かめることは出来ないのに確実にあるもの…といえば、「時間」もそうですね。

先日、事務所で河原志穂と話していたら、彼女が「マツダスタジアムに行ってきました!」と元気に得意気に語り始めました。

「いいなぁ〜」「行ってみたいなぁ〜」などと会話しながら、僕の心は「時間」を想っていました。


広島出身の僕は、19歳の時に、進学のために関西へやって来ました。

正直、家を出られればどこでもよかったのですが、たまたま縁があったのが京都。

そして仕事は大阪で始める訳ですが、当時、僕と広島を繋いでいたのは、親や親戚よりも、実はカープでした。(お父さんお母さん、ごめんなさい)

僕が学生時代の頃のカープは、子供の頃からのヒーロー山本浩二が監督で、
阪神戦で甲子園や京都西京極へやって来た際には、よく応援に行っていました。
しかし仕事を始めると、金銭的にも心理的にもだんだん余裕がなくなり、次第にカープから離れてしまいました。

「人生には区切りになる時があるらしい」

「ガラッと方向が変わる、分岐点と言ってもいい時があるようだ」

20代前半の僕はそう思っていました。

ひょっとしたら、カープ絶ちをすることでそれまでの自分に区切りを付け、プロのナレーターになれる自分を作ろうとしていたのかもしれません。

それから20余年。

カープのカの字もない人生を歩んできました。

その間になんとか仕事も軌道に乗って、広島へ仕事で行き来するのも珍しくなくなっていました。

そんなある日のこと。

広島での仕事が終わった後、友人が「クライマックス見た!?
甲子園が真っ赤じゃったじゃろ!?」と得意気に言うのです。
「そんな訳がないじゃろぉ。東京ドームならまだしも(他でもない)甲子園はそうはならん」

僕は、甲子園って、広島市民球場をそのまま大きくしたようなところだと思ってて。

阪神ファンの熱狂を「怖い」という人もいますが、市民球場しか知らない僕には「そういうもん」だと思えてて。

しかし、「赤い甲子園なんて」と取り合わない僕に彼が見せてくれた動画は、三塁側〜レフト・センターまで見事に赤く染まった甲子園でした。

それを見た瞬間、涙が溢れてきました。

なぜなのかは今でもわかりません。

心の奥の深いところに、固く氷漬けにしていた何かが、溶けて溢れてくるようでした。

そして、その固いものが溶けて、ぶわわわぁ〜っと、沢山の欠片が繋がったような気がしました。


その年の暮れ。

広島で、カープのラジオCMをナレーションさせていただきました。

球団職員の方が見かけた印象深いお客様のエピソードを紹介するシリーズ物のCMだったのですが、
その中で今でも印象に残っているエピソードがあります。

「わしが生でカープを観れるのは今日が最後かもしれんけぇ、グッズも何もみんな買う。
カープを応援するんじゃ」と、店ごと買い占めるほどグッズを買い込んだお爺ちゃんの話。

そうなんだよな。

カープって、「そう」なんだよな。

収録中にもかかわらず、ちょっと言葉に詰まってしまって。

初優勝の日。

僕は7歳の誕生日だったのですが、自分の誕生日にカープが優勝したことより、テレビから振り返った時の爺ちゃんの顔が忘れられないのです。
涙が溢れてるのにぬぐおうともせず、黙ってじーっと画面を見つめてた爺ちゃん。
大人の男が人前で泣くのを初めて見た僕は、どうしていいかわかりませんでした。

子供の頃、昔の市民球場で。

年に何度か親父がカープに連れて行ってくれて。

5回のグランド整備の前後で一度席を立ち、バックスクリーン裏の売店でカープうどんを食べさせてくれて。

旨かったなぁ。

内野自由席のちょっと高いところから見る、川口の胸の張りと腕のしなりが大好きだった。

格好良かったな〜。

江夏の頃も大野の頃も、マウンドに出てきただけで「もう今日は勝った」ってスタンドの空気が暖かくなって、ちょっと怖かったおじさん達がニコニコしてて。

津田の頃はテレビだけだったけど、生で観たかったなぁ〜。

コージが現役最後のホームランを打った日本シリーズでは、ライトスタンドのみんなで息を吸って呼び寄せて、フェンスをギリギリ越えたときは嬉しかったな〜。

そういえば親父。

まだ、マツダスタジアム行ったことない、って言ってたなぁ。

連れてって、一緒にうどん食いたいなぁ。

チケット取れないけど。

親父。
いつか連れてくから、それまで元気でいてください。
当分、チケット取れないと思うけど。

マツダに行こうね、って言って実はもう2〜3年経ったけどまだ暫く強うそうだし、チケットも取れないだろうから、まだ暫く元気でいるように。



「時間」ってのは、区切っても区切っても繋がっていて、連綿と続いているんですね。

当時は、区切ることが必要だった。だから僕はプロになれた(と思うことにする)。
でも今は、続いている全てを受け止められるくらいには成長できたのかな。

何もかも区切って、なんなら切り捨てていくのが生き方だった僕に、「それじゃあダメだ」と叱ってくれた先輩。

一緒にいろいろやっていく中で「すべてを背負って切り捨てず、引きずってでも歩みを止めない」生き様を見せてくれた先輩。

そんな先輩方への恩返しは、ウチの親父をマツダスタジアムに連れて行くことで返します。

ん? ちょっとズレてるかな(笑)??




次回は、「た」から始まるタイトルで、野中政宏が筆を執ります。お楽しみに!



火曜日更新の 「週イチしりとりコラム」。

posted by VOZATOR at 13:14| 週イチしりとりコラム

2018年03月20日

週イチしりとりコラム 第672回 "う"→「うた」→"た"や乃えいじ

ボズアトールのメンバーが、タイトルで"しりとり"をしながら、

リレーでコラムを書いていく 「週イチしりとりコラム」。

今回は「う」から始まるタイトルでや乃えいじが筆を執ります。



「たう」

♬深耶馬渓の谷間から〜 流れる水の清らかに〜♪.

僕が通っていた山移小学校の校歌です。

大分県中津市耶馬溪町に、山移小学校はあります。

開校が明治7年ですから、144年ですか。

名は体を表すとの言葉通り、渓谷と田んぼに囲まれた山間にある小学校です。

終戦直後のベビーブームの折には、そこそこの生徒数だったと親父や叔母は言ってましたけど、

終戦から26年の後に入学した僕の同級生は19人だったと記憶しています。

途中、耶馬溪ダムの立退きやなんかで、人数減ったりしたのかな。

19人ですから、ソフトボールはチームに別れて出来るけど、サッカーは人数足りなかったりしたのかな。

九州とはいえ、標高が400mを越えるので、冬場は雪も積もるし、気温も低い。

車なんて寒冷地仕様でないと、ラジエーターごと凍ります。

その分、夏場は日差しさえ避ければ、快適なことこの上ない。

ちなみに、うちの実家は、暖房はあっても、クーラーはありません。要らないです、涼しくて。

そうそう、ゴキブリもいません、家にも小学校にも。

だから、テレビで「ゴキブリホイホイ」のCM見ても、何のために使うのか、想像もできませんでした。

自然豊か(豊か過ぎ)で、四季の表情もハッキリして、温泉もあって、食べ物も素朴で美味しい・・・、

手前味噌ではありますが素晴らしい故郷だと自負いたしております。

そんな故郷から、本年度いっぱいで山移小学校廃校の知らせが届きました。

児童がいないんだとか。

とはいっても、通う児童がゼロってことは無いだろうに・・。

聞くところによると、親御さんが車で、まだ人数のいる小学校まで送迎するんだとか。

なるほどなー、僕の頃は、片道1時間半の山道を毎日通ったけどなー。

お陰で、足だけは早くなったけど・・。

しかし、覚えてるもんですね、歌、校歌。

卒業したのは40年前だけど。

メロディ流れて響く川添いに 明るく建った学び舎は 山移校 我が母校♬

廃校式は、3月25日だそうです。

や乃コラム写真2018.jpg


次回は、「た」から始まるタイトルで、野中政宏が筆を執ります。お楽しみに!



火曜日更新の 「週イチしりとりコラム」。

posted by VOZATOR at 00:00| 週イチしりとりコラム